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神字とは

始まりの文字

漢字渡来以前、神代から日本にあったといわれる文字。日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留(あひる)文字など の類で神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とも言う。神代文字は、神の意志を伝えるために使用されていたが、後 に人と人との間でも使われるようになった。これが、文字の始まりである。

・歴史上の神字
神字の存在の可能性について初めて言及したのは鎌倉時代の神道家である卜部兼方である。兼方は『釈日本紀』の中で 、父・兼文の説として、神代に亀卜が存在したとの日本書紀の記述から、文字がなければ占いが出来るはずがないとし て、何らかの文字が神代に存在した可能性を示した。兼方自身はその候補として仮名を考えていたようであるが、爾来 卜部神道の間では仮名とは異なる神字の存在を説くようになった。
また、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)において、神代文字の字母数や字形等の特徴についてか なり具体的に述べているにもかかわらず、室町時代までは神字の実物が示されることはなかった。江戸時代に入り、尚 古思想が高まるにつれて、神代文字存在説もますます盛んになり、遂に神字の実物が登場するに至るのである。

・神字の最も古い記録とは?
一説によると、『神代巻口決』(1367年)、忌部正通によって書かれたという。これに「神代の文字は象形なり。応神天 皇の御宇、異域の経典、初めて来朝してより以降 、推古天皇に至って、聖徳太子、漢字をもって和字に付けた まふ」という記述がある。これは神代文字のことを言ってるのではないかという説がある。しかし、多くの歴史学者達 は、単に「絵」でもって情報伝達をしていたことを言ってるのだと解釈している。

・「神代文字」なるものは、その殆どが江戸時代から明治にかけて作られたもの?
漢字渡来以前の日本に固有の文字は存在しなかったとする説も多くある。

1.筆頭すべきは、山田孝雄博士。皇學館大学の学長をされ、神宮文庫の館長も務めており、この神代文字を調査した 結果、「文字は墨で雙鈎にした所謂籠字にしたもので(中略)、その紙質、墨色を見るに明治の初年頃を下るものであろ うが、それを下ることのないのは明かである」として、それらを偽作物であると断じている。

2.また、神代文字の中にはハングルと酷似したもの(阿比留文字)が存在する。ハングルは1443年に考案されたもの であるから、ハングルが阿比留文字を参考に考案された文字ということでもない限り、阿比留文字もそれ以降のもので あると解される。

3.神代文字にとって一番問題なのは、47音ないし50音しか無いことだ。これは神代文字が近世の作だということ を雄弁に物語っている50音が成立したのは平安時代中期からであり、それ以前の日本語は音がはもっと多かったのだ 。例えば、7世紀後半(「古事記」の時代)には88音節もあり母音も8つあった。


神代文字の真実とは

・伊勢神宮に奉納されている神代文字
伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれている、奉納文が数多く奉納されている。伊勢神宮に現存する奉納文は、こ れまで確認されたものだけで99点あります。その大部分は藤原鎌足や稗田阿礼、和気清麻呂、菅原道真、平将門、源義 経、木曽義仲、後醍醐天皇といった歴史上名高い人物で占められている。
また「古事記」をまとめた太安麻呂や 「日本書紀」の編集者・舎人親王なども名を連ねています。これらの奉納文は、奈良時代から江戸時代中期にかけてお よそ1000年間にまたがり、それぞれの時代に伊勢神宮へ参拝した著名な指導者たちが、様々な思いをこめて納めた大変 貴重なものである。

・事実とは?
こうした様々な意見や事実が存在する中、私たちは何をするべきでしょうか?私たちがするべきはいつから存在したも のかを論じることでしょうか?私はそうは思いません。私たちは学者でも研究者でもありません。
私はこう思います。

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